2014年06月28日
山之口 貘
沖縄県那覇区東町大門前出身の詩人。本名は、山口 重三郎。薩摩国口之島から、琉球王国へ移住。
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梯梧の花
戦争後の沖縄についても、矢張り、沖縄帰りの人や、あるいは沖縄から出て来たというような人々から耳にしたり、または、新聞や雑誌の上で読んだりしたことから想像して知っているに過ぎないのだが、郷里沖縄に、郷里がなくなってしまった感じをどうすることも出来ないのだ。いまでは沖縄が、すっかり一大軍艦の姿にかわってしまったということは、誰にきいても、読んでも、そうおもわないではいられないことばかりだからなのである。
軍艦沖縄は、どこの国の軍艦なのか、ぼくなどが言うまでもなく、読者の知っているところであろう。その軍艦の上に、軍艦用の人間達が住んでいることは勿論なのだろうが、地球用の人間ではあっても、決して、軍艦用の人間ではない筈の同郷の沖縄人が、何十万も軍艦の上に住んでいるわけなのだ。
仏桑華も梯梧も、その生えるところに悩み、その花を咲かせるにこまっているのではないかと同郷のぼくなどは案じないではいられないのだ。
チャンプルー
沖縄の民謡に「谷茶前タンチャメ」というのがある。
谷茶前の浜に
スルル小グワが寄ててんどう
スルル小やあらん
大和ミジュンどやんてんどう
アフィ達やうり取いが
アン小達やかみてうり売いが
うり売ての戻いぬ
アン小が匂いぬしゆらさ
というのである。大意を説明すると、谷茶前の浜に、スルルの大群がおし寄せて来たんだそうだ。いやいやそれはスルルではなくて大和ミジュンなんだそうだ(大和ミジュンは鰯である)。若人達はそれを取りに行く、そして乙女達はそれを売りに行く、それを売っての帰りの乙女達の匂いの素晴らしさよ、というのである。これは舞踊化されていて、すでに一般の人にも知られている。映画「ひめゆりの塔」にもとりいれられていた。
(「食生活」一九五六年一〇月号)
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梯梧の花
戦争後の沖縄についても、矢張り、沖縄帰りの人や、あるいは沖縄から出て来たというような人々から耳にしたり、または、新聞や雑誌の上で読んだりしたことから想像して知っているに過ぎないのだが、郷里沖縄に、郷里がなくなってしまった感じをどうすることも出来ないのだ。いまでは沖縄が、すっかり一大軍艦の姿にかわってしまったということは、誰にきいても、読んでも、そうおもわないではいられないことばかりだからなのである。
軍艦沖縄は、どこの国の軍艦なのか、ぼくなどが言うまでもなく、読者の知っているところであろう。その軍艦の上に、軍艦用の人間達が住んでいることは勿論なのだろうが、地球用の人間ではあっても、決して、軍艦用の人間ではない筈の同郷の沖縄人が、何十万も軍艦の上に住んでいるわけなのだ。
仏桑華も梯梧も、その生えるところに悩み、その花を咲かせるにこまっているのではないかと同郷のぼくなどは案じないではいられないのだ。
チャンプルー
沖縄の民謡に「谷茶前タンチャメ」というのがある。
谷茶前の浜に
スルル小グワが寄ててんどう
スルル小やあらん
大和ミジュンどやんてんどう
アフィ達やうり取いが
アン小達やかみてうり売いが
うり売ての戻いぬ
アン小が匂いぬしゆらさ
というのである。大意を説明すると、谷茶前の浜に、スルルの大群がおし寄せて来たんだそうだ。いやいやそれはスルルではなくて大和ミジュンなんだそうだ(大和ミジュンは鰯である)。若人達はそれを取りに行く、そして乙女達はそれを売りに行く、それを売っての帰りの乙女達の匂いの素晴らしさよ、というのである。これは舞踊化されていて、すでに一般の人にも知られている。映画「ひめゆりの塔」にもとりいれられていた。
(「食生活」一九五六年一〇月号)
Posted by sinsin at 23:37│Comments(0)
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